内緒 その12002年9月19日の日記の真相昔を思い出す曲 先日来、色んな用事が有って、よく外でランチをする。 そのうちの一つ、駅の近くのビルの一階、よ~っく見ないと喫茶店だと分からない店を、友達が教えてくれたので行ってみた。 小さなお弁当箱みたいな入れ物に入った松花堂弁当を思わせる食事。食後にコーヒーをつけなければ500円で済む。主婦にとっては、なかなかリーズナブルでよろしい。 味もまあまあ。 いや、食事の話をしようとしている訳ではない。 店に入り、注文をする。お水が運ばれ、食事が来るまでしばしの待ち時間。少し時間が下がっていたので、殆ど他のお客はいなかった。 店の一番奥に座っていたので、ゆっくりと店内を見回す。 あまりこれと言って目立った装飾の無い店内を、歌謡曲のBGMが流れる。 あれ? これは・・・「ビューティフルエナジー」だわ。 なんか懐かしい。いつ頃聞いた歌だろう。たしかまだ学生時代だったような。 歌い手の名前すら覚えていないこの歌だが、サビの部分はよく覚えていた。 歌はぞくぞくと、懐メロを繰り返す。タイトルすら覚えていないのだが、やはり当時は良く聞いていたのだと思う。サビの部分はやはり確実に出てくる。もしかしたら、CMソングばかりだったのかもしれない。 注文した食事が届いても、しばらく私は歌に聞き入っていた。 そう言えば、夏休み前から、中学三年のクラス会を何十年ぶりに開くと、連絡が入っていた。運悪く、私はその日は都合がつかずに欠席したのだが、懐かしさのあまり、メンバーの一人がHPまで作ったと言うのだ。 当然、すぐに覗きに行ったのだが、セキュリティの関係とやらで、掲示板に書き込みすらできず、なんだか蚊帳の外に居る様な寂しい気分でPCの電源を落とした。 懐かしいものは嬉しい気持ちばかりを運んで来る訳ではないのだ。 いまや懐メロとなったあの曲達ですら、時に私に苦い思いを起こさせる。 短大時代。 地方都市で育った私は都会に憧れ、親を説き伏せて東京の短大へ進んだ。勿論、親を安心させるために、一人暮らしなどはせず、学校に近い寮に入ると言う条件付きで。 二人兄妹の末っ子で、ワガママいっぱいに育った私に、いま思えば何と無謀な試みだったことか。それでも、最初の半年は、同室(四人部屋)の方ともまあまあうまく行き、短大生活を楽しんでいた。 私に大変な転機が訪れたのは、一年生の後期だった。 前の部屋の人が嫌だったわけではなかったのだが、新しい人と一緒の部屋になれると言う嬉しさに、私は個人の相性などと言うものを全く頭の中から排除していた。それだけ世間知らずだったという事だろう。 新しい同居人は、はっきり言って、私とは全然タイプの違う人ばかり。おまけに普通四人部屋と言うのは先輩二人、後輩二人と決まっているものだが、私達の学年は人数が多く、今度の部屋は一年生が三人だった。これもバランスの悪さを暗示していたのだが、その時は何も考えてはいなかった。 私は、父親が公務員と言うことも有って、どちらかと言えばお堅い部類に入る人種。そして、心の底では一度でいいからハメを外してみたいと密かに願う、暗い性格。 同室の人は、枠にはまらない、自由奔放に見える性格。おまけに思った事はどんどん口に出していうような、はっきりしたタイプ。さぞや私はうっとおしかった事だろう。 それでも、私は、自分が演劇部に属していると言う根拠の無い妙な自信から、半年位、この人達ともやっていけるわと、たかをくくっていた。何しろ、ミョーにプライドも高かったので、部屋を替えて下さいなんて、とてもじゃないけど言い出せなかったし、よしんば、言えたとしてもそれが受け入れられる可能性は極めて低い。みんなの顰蹙を買うだけだと言う事はさすがの私だってよ~く分かっていた。 それから、私のおかしな生活が始まった。 同室の人がする事は、いちいち私の度肝を抜いた。 その中で一番閉口したのは寮内で隠れてタバコを吸うことだった。いや、私は喫煙に関しては、個人の裁量に任せていいと言う主義なのは昔からだが、隠れて室内で吸われた日には、室内干しをしているバスタオルに見事に匂いがつくので、彼女が黙っていても、すぐに分かった。 私も当時は修行が足りずに、すぐに顔に出ていたのだろう。 なんとなく、彼女との間でギクシャクし始めていたのが自分でも良く分かった。 そこでもう一つ私の身に変化が起る。 私は演劇部に属していた。 しかし、在籍していた高校は進学校で、演劇部とは名ばかりで、子供の劇に毛が生えたレベルのものしか上演しなかった。私にはそれがとても不満で、上京したのは、都会で本物の演劇に触れたいと思ったのが理由のひとつだったのだ。 しかし、私の世間知らず、視野の狭さは色んな種類の演劇全てを受け止められず、自分の中で困惑していたにも拘らず、その秋の公演のキャストを引き受けてしまったのだ。 当時、私が進んだ短大には演劇部が、やはり名ばかりで存在し、その中で、やる気のある人間は、近所の四年制大学(殆ど男性ばかりだった)で、演劇をするようになっていた。 勿論私も、毎日のようにその大学に通い、練習を続けたが、自分の中で演劇に対する考えをきちんと消化できてない人間が、ちゃんとした演技ができるはずもなく、何度も駄目だしされ、私は猛烈に落ち込んでいた。 自分の中に、外に表現できるものが何も無いのだ。 何も無いものをどうやって表すのか。それでも、一度引き受けたからにはやらねばならない。血を吐く思いでみんなの協力を受けながら、それでも、何とか公演を終えた。 (当然、アンケートで私のした役についてコメントしてくれる人は居なかった) 公演が終わって、空っぽになった私。 何をするにも無気力で、張り合いの無い日々。 一つの公演を終えたら、みんなそうなるんだよ。 その大学の先輩達はそう言って慰めてくれた。 でも、何かが違う。 ある日、自分がじっと座っていられない事に気が付いた。 なぜだか分からないけど、そわそわと落ち着かないのだ。 座っていると、胸がドキドキして苦しい。 なんでだろう。落ち着かない。 その日から、私は夜が眠れなくなった。 公演が終わり、授業終了後は殆ど門限まで部室で費やしていた時間は、空っぽになった私にまるまる返ってきた。 時間はあるのに、何もする事がない。 本を読もうとしても、文字が目に頭に入って来ない。座っている事も苦痛だ。 テレビは寮に一台しかなく、帰寮時にはたいてい先客が私と違う趣味の番組を見ている。 バイトも許されて無かったので、行く場所も無ければ、自由に使えるお金も無いので、遊びに行ったりショッピングするなんてもってのほか。 部屋に帰れば、気の合わない彼女が居る。 私には居場所が無くなった。 私の様子がおかしくなったのをクラスの友達が気付いていた。 「どうしたの?最近なんか変だよ。」 私は眠れない事、落ち着いて座っていられない事などを話し始めた。すると、どうしたことか、自分でも分からないのに、涙がぽたぽたと落ちてくるのだった。 「もしかして、ホームシックなのかもよ?五月病にかかって無かったよね、確か」 私と同じ、遠くから上京している子がいった。 「それなら、うちに遊びにおいでよ。泊まって行っていいから。そのかわり、家の手伝いさせられるかもね?」 実家で商売をしている子が明るく冗談めかして言う。 本当は行きたかった。でも、お泊まりは厳禁という親の主義で育ち、なおかつ、寮則で親類以外の家には泊まってはいけないと言うお達しに、当時の私は逆らえなかった。 彼女の気持ちはありがたく頂き、自分がホームシックかもしれないと言うあたりまでは、何とか解決したのだが、そこから先はどうしようもない。 寂しいなら帰ればいいと思うだろうが、まず旅費が高い。当時は家まで片道三万近くのお金がかかっていた。そんな余分なお金を親に出してもらうわけには行かない。当時我が家では兄も上京していた。二人の大学生に仕送りをしなければならない親の苦労を全部とは言わないが、少しは分かっていたつもりだったし、何より、自分が行きたいと言って上京したのに、何が寂しいだ、何が悲しいだと言われたくなかった。 思えば若かったんだろう。親がそんな事を言って、帰ってきた娘を笑ったり、叱ったりする訳無いのに。 結局、私はさらに無理を重ねる。 眠れないなら、お酒を飲めばいいのだと、安物の酒を買ってきては、オレンジジュースで割って(私はお酒が飲めない、今も)飲んで見たものの、胸の動悸がいつもより激しくなるだけで、返って眠れない。無理して目を疲れさせようと本を読んでみても、頭が痛くなるだけで、眠気は一向に起らない。 おまけに食欲がひどく落ちてきて、ものが食べられないうえに、胃まで荒れたようで、胃痛が激しくなってきた。 意を決して私は内科に駆け込んで、バリウムを飲んだ。 結果は、軽い胃炎を起こしているとの事。すぐに先生は薬を処方してくれた。 「ほかに具合の悪いところはありませんか?」 しばらく迷った後、私は今、不眠で悩んでいる事を打ち明けた。 先生は、私の症状を聞いて、軽く首をかしげた後、何でも無い事のようにさらりと言った。 「じゃ、眠れるようにお薬出しましょう。食後に飲んでね。」 私はびっくりした。精神安定剤で眠れるようになる事は知っていたが、まさか内科でその薬をもらえるなんて。 受付で私はおそるおそる薬を受け取り、お金を払った。 そして、「眠れる薬」と言う先生の暗示が効いたのか、久しぶりにその夜はぐっすりと言うまでは無かったのだが、すんなり眠ったような気がする。 その後、部屋で喫煙していたのが寮長にばれ、私以外の人が呼び出しを食らった事で、私が告げ口したのだと、部屋の人から疑いをかけられたり、眠れるようになったのはいいとしても、やはり落ち着かない日々は相変わらずで、自分がどうなるのかと不安で堪らず、叔父から連れて言ってもらった池袋のサンシャイン60の屋上展望室から下をのぞき込み、ここから飛び降りて死んでしまいたいと本気で思ってしまった事やらで、私の服薬生活はしばらく続いた。 一人になるのが無性に寂しく、不安で、迷惑とは分かっていても、叔父の家に何度も泊まりに行った。 ある日の事だった。 演劇部の先輩がご飯を食べに来ないかと誘ってくれた。 もちろん、作るのは私なのだが、寮で気の合わない人達と一緒に居るよりいいやと思ってその夜誘われるまま、先輩の部屋へ行った。 他にも何人かの先輩達が居て、思い思いに演劇論を闘わせたり、テレビをみたりと、気を使わないっていいなぁと心の底から思わせてくれる気分になった。 そのうち夜も更け、一人帰り、二人帰りと、部屋の中には私と部屋の借主ともう一人の先輩だけになっていた。時間はもうすぐ門限ぎりぎり。 「どうしようかなぁ・・・。」 今日は正直、寮に帰りたくなかった。 「今夜、泊まって行ってもいいかなぁ?」 驚いたのは先輩諸氏だった。何しろどちらも男性。しかし、世間知らずの私は自分が言った意味がどんなものかはその時分かってはいなかった。 あぁ、世間知らずって恐ろしい。 二人とも私の様子が最近おかしいのは知っていたから、驚きはしたものの、それ以上は何も言わなかった。 その夜、先輩と二人で枕を並べていろんな事を話した。 お互いの故郷の事。先輩がどうして留年したか。どうして私が東京へ来たかったのか。おそらくどうでもいい事ばかりを自分の意識が有る限り、喋り続けた。 気が付けば朝だった。いつの間にか、眠っていたのだった。誰かと一緒に喋りながら眠りにつく幸せ。ちょっとドキドキして嬉しかった親戚の家へのお泊まりと従姉妹達との語らい。そんな思い出を蘇らせてくれるような朝。体を起こして窓の外をぼ-っと見ていたら、先輩も目が覚めたらしい。 「良かった。居たんだ。」 そう言うと、私の手を取って自分の頬に当てると、ゆっくりと頬擦りをした。 その時、何かが分かったような気がした。 人はみんな寂しい。 寂しい気持ちを押し殺す事は無いんだ。 寂しいときは甘えてもいいんだ。 泊めてもらったお礼に、朝ご飯だけ作ると、私はこっそり寮に戻った。 みんなもうすぐ授業が始まるのか、もう部屋には誰もいない。 と、思うと先輩がベットの中からごそごそと出てきた。私が帰って来るのを待っていたと言う。 「ごめんね。辛い思いをしてたの知ってたのに、何もしてあげられなくて。疑ってごめんね。私が先輩なんだからみんなをちゃんとまとめておかないといけないのに。部屋での喫煙を止めなかったのは私に責任があるのに、逆恨みしたよね。本当にごめんね。外泊したの、私達のせいでしょう?」 私は黙って首を振った。 先輩を恨んではいなかった。 疑いが晴れればいい。もうすぐ年度が変わり、部屋の住人も変わる。 先輩を責める資格が無い事も知っていた。だって、いつか見つかってお小言をもらえばいいと、心の中で思っていた事も事実だから。 「大丈夫です。もう、無断外泊はしません。」 そう言うと、私は教科書を揃えて、出かける準備をした。 「ありがとうございます。先輩。」 私もそう言うのがやっとだったのだ。 それから月日は流れ、上級生になり、新しい後輩が来て、部屋のメンバーも変わった。 私のような思いはさせてはいけない。しっかりしなければ。 幸い、同室の二年生は無口だけれどしっかりしていて、自分を持っている子。他の人がどうしようが、自分の主義は貫くけど、他人のすることには干渉しないという、見習うところが沢山ある子だった。 一年生も人懐っこい子が一人いて、何かと言えば先輩、先輩と、頼ってくる。 一生懸命、自分を奮い立たせた。恐い気持ちを押さえて、自ら薬を飲む回数を減らして行き、薬を飲むのを夜だけにして行った。 そのうち、部屋にいる事が苦痛ではなくなって行った。 そして、部屋で過ごす時間も、他人と触れ合う時間も次第に増えて行った。 くだらないおしゃべり、新しいお菓子の品評会、紅茶のティーパックは何杯まで色が出るか賭けてみたり。(確かこの時は9杯出ました、色だけは) 部屋での笑い声が増えて行くに連れ、いつしか私は、夜、薬を飲むのを忘れ始めていた。 二年生の六月頃だったろうか、お世話になった内科に薬を取りに行かなくなったのは。 こうして私は薬を卒業した。 そう言えば、薬に頼り、絶望していた頃、ずーっとユーミンを聞いていたような気がする。 『ツバメのように』を聞いたからだろうか?飛び降り自殺を考えたりしたのは。 今でも、『昨晩お会いしましょう』のアルバムだけは、好きになれない。 楽曲が嫌いではなくて、あの頃の精神状態を思い出し、引きずり込まれそうになるから。 他のアルバムは平気なのに。 昔を思い出す曲。 生きていればこそ、の昔。 あの時私に啓示をくれた瞬間を、私は一生忘れないだろう。 今の私の為にも、忘れてはならないのだ。 |